The collection of short essays by Our President (Masaaki Okada)


「黒い液体」
 私はある1室のベットの上にいた。ベットは大男の米兵数人に取り囲まれていた。 その米兵が何か私に喋りかけてくるが不安と恐怖のためか何を言っているのかわから ない。自分で起き上がろうとするが下半身が動かない。まったく感覚がない。どうし たんだろう。やがて黒人兵からベットの上に体をおこされたその私の手には黒い液体 の入った厚い瓶が渡された。
 飲めと言っているようだ。恐る恐る口にしたがその液体は薬臭くピリピリと舌に刺 激を与え、どす黒い色をしていた。無理矢理飲み干した私を見てまた米兵達がニヤニ ヤしながら話し掛けてくるのだが私の恐怖と不安は消えていない。何を言っているの か分からない。その上、胃がおかしい。膨張感と軽い嘔吐感がある。黒い液体のせい だと思った。この液体はなんだ?そしてここはどこなんだ?
 突然、部屋のドアが開き白衣を着た白人の男が入ってきた。な、なにが起きるのだ ろう。今度は何を飲まされるのだろう!恐い!。とその後ろに私の父がいるのが見え た。え!一体どういうことなんだ。その父が白衣の男と握手をしているではないか。
 やがてジープに乗せられその場所を父と共に去ろうとした時また米兵達が大きな声 を掛けてきたが、父と会い恐怖と不安は薄らいだもののやはり何を言っているのかわ からない。父は何か言い返しているようだった。その父の言葉も理解できなかった。

 北津軽へ向かう私を乗せて盛岡発青森行きのスーパーはつかり7号は雪をけちらし ながら今、八戸郊外を走っている。
 45年前、私はこの八戸市桔梗野という町にいた。小学3年の時である。学校から 禁止されている米軍キャンプの将校クラブ跡地で放課後遊んでいて右足に大怪我をし た私は自衛隊の幹部であった父から米軍キャンプの医務室へ運ばれたのだった。その 当時、自衛隊八戸駐屯地と進駐軍の米軍キャンプ地は同じ施設にあった。その後何度 か米軍の医師の治療を受けるためキャンプに通うのだが、その度にその黒い液体を飲 まされていた。いつの間にかその液体を飲むのを楽しみにし始めていた。
 しばらくして街角でもその黒い液体の入った瓶を見かけるようになった。それはコ カコーラと呼ばれていた。
 そんな思いにふけっている間にスーパーはつかり7号は八戸郊外を走り去っていた。   
 
(2001.2.9 スーパーはつかり7号車中にて)


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